【冬サミ2008:観劇レポ6】下鴨車窓『書庫』
「冬のサミット2008」6団体目。
下鴨車窓『書庫』
2009年3月2日(月)14:00の回鑑賞
「冬のサミット2008」ラストを飾ってくれたのが、僕の活動拠点となっている京都からの下鴨車窓。
主宰の田辺さんは、僕も何度もお世話になっている京都を代表する小劇場、アトリエ劇研のディレクターをなさっています。
この『書庫』という作品は、2008年11月にアトリエ劇研で初演され、そのときも拝見させていただきサミットBLOGに観劇レポを書いたのだけど、今回3ヶ月半ぶりに観て、基本的な印象は変わらなかった。
〈こだわり〉みたいなものが観えてこなかった。
舞台を観ていて、やっぱり何かにこだわってないとこういう作品は生まれてこないんじゃないかなぁと思って、だからこそ、その“生みのこだわり”みたいなものが観たいと、僕は単純にそう思った。
で、それは、初演の京都から時間を経た今回の東京公演で明確になるかもしれないと、ずごく期待していた。
〈こだわり〉っていうのは、言い方を変えると「これだけはやりたかった!」とか「これだけを見せたかった!」とか、ちょっと極端な言い方だけど、そういうエネルギーのこと。そのエネルギーを舞台から感じれると、ヘタするとそれだけでも満足できることがあったりすると思ってて、でも『書庫』はなんだか全体的な印象がぼんやりとしていて、掴めそうで掴めない感じがずっとしていた。
僕はこれまで演出しかしたことがなくて、作と演出を兼ねるという作業がどういうものなのか皆目見当がつかないし、憶測でしかものを言えないのだけれど、たぶん「作家」としてのこだわりと「演出家」としてのこだわりの両方が必要なんだと思っていて、そのこだわりのぶつかり合いが一人のアーティストの中でどんどん起きることで、作品が面白いものになっていくんだろうなぁと思っているんだけど、『書庫』の場合、僕自身が演出をやっているからかもしれないけど、「演出家」としてのこだわりの方が僕には観えづらくて、そこが一番残念だった。
例えば、「杉原サミット通信」でのインタビューでも話に出ていたのだけど、俳優たちの会話の成り立たせ方そのものが僕は印象的だったのだけど、演出がその会話を「リアリズムじゃない」と設定したとき、その「リアリズムじゃない」の「じゃない」がどこにかかってくるのか、ということが観えてこないし、そこでなぜ「じゃない」と言わなければならなかったのかということが観えてこなかった。こういう話になると、じゃあ「リアリズム」ってなんだ?ってことになってくるので、この辺でやめたいんだけど(笑)、つまり「じゃない」が観えてくるということは、その演出家が考える「リアリズム」が観えてくるということだし、演劇観が観えるということに繋がってくる。それが〈こだわり〉だと思う。
とは言え、下鴨車窓の世界観・質感みたいなものは稀有な存在感をもっているし、今後も京都で注目していきたいと思っています!
次回作が楽しみです。
*下鴨車窓の関連記事*
【観劇レポート『書庫』08/12/11】
【稽古場レポート09/02/04】
サミディレ・杉原邦生
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