観劇レポ

2009/10/19

【夏サミ2009:観劇レポ4】初期型『The Pop』

サミットディレクターの歯に衣着せぬ観劇レポ:夏サミ2009ver.
2ヶ月遅れでお届けしています!すみません…

「夏のサミット2009:エネルギッシュ・サミット」の(杉原の鑑賞順では)4発目!
初期型『The Pop』
2009年8月19日(水)15:00の回鑑賞

はっきり言ってしまうと、観た印象が薄かった。
例えば、男性ダンサー4人が全裸で自分の股間を手で隠しながら踊るシーンひとつ取っても、それはそれでインパクトがあるし、バカバカしく、ある種の衝撃を受けるのだけれど、その衝撃が作品の中で持続していかないし発展もしないから、本当にネタだけで終わってしまうという感じだった。
だから、観終わった後すぐに作品の印象がぼやけてしまう。
そこはとても残念だった。
もう少し、観客に与えたインパクトみたいなもの(それは嫌悪感を伴っている場合も多分にある)を作品中で必然化していく作業が必要だったんじゃないか。
その“必然化”ってのは“意味付け”ということではなくて、意味なんてものはあってないようなものだし、それに固執して作品をつくることってそもそもナンセンスだと僕は思っているから、どーでも良いんだけど、“意味なんてない”ということの必然化は絶対に必要な気がする。
その“必然化”ってのも言葉で言うと堅苦しいから嫌なんだけど、つまりは舞台上のパフォーマンスそのものに説得力があれば良い、と言うか、いや、この言い方もまだ堅苦しい、要するに「意味なんてありませーん」っていう開き直りが観えると良い、…ってのも、なんだか乱暴に言い過ぎな気もするし、開き直れば良いってもんでもないから、うーん、難しい…。

とにかく、僕が今回、初期型の『The Pop』を観て全体的に思ったことは、なんだかまだ何かに遠慮してるんじゃないか?ってことだった。
何に対しての遠慮かは分からないけれど、なんとなく遠慮している感じが必然性の曖昧さを生んでいるし、作品全体のぬるい空気感に繋がっている気がして、そのぬるさ自体が悪いということじゃなくて、その空気感に強度がない感じがして、なんだかもっと面白いものつくれそうなのになぁ…という欲求不満を感じてしまった。

これはホントに単純な思いつきなんだけど、カワムラさんが高校生相手にワークショップをやって作品をつくるなんて企画があったら、絶対に観に行きたい。
カワムラさんのバカバカしさと知的さの共存した感じが、高校生とぶつかると俄然面白くなる気がするんです。

*初期型 関連記事*
稽古場レポート09/08/16


サミディレ・杉原邦生

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2009/10/14

【夏サミ2009:観劇レポ3】肉体関係『48』

サミディレ・杉原、サミット後に公演が続きすっかり遅くなってしまっていますが、「夏のサミット2009」観劇レポも忘れてはいません!
じゃんじゃんいきまっす!!


「夏のサミット2009:エネルギッシュ・サミット」の3発目!
肉体関係『48』
2009年8月16日(日)14:00の回鑑賞

アフタートークで話したことと繰り返しになるんだけど、団体(劇団,ユニット)名&作品タイトルというものが与えるイメージとかインパクトというものが、舞台芸術というジャンルにおいては、観客が得る鑑賞前の絶対的な素材として存在しているということに、改めて気付かされた。
この《肉体関係》というユニット名と『48』というタイトルから連想されるものは少なくなくて、性的なイメージだから男性と女性によって多少のズレがあるとは言え、かなりステレオタイプなイメージを連想し易い。
だからこそ、観客が鑑賞前から持ってしまう(持たされてしまう)イメージやインパクトをどう操作するかということが大きなポイントになってくる。
それがうまくいかなければ、“タイトル負け”とか“ユニット名負け”なんて言われかねない。
というか、そういうことを彼らは敢えて選んでやっているのだから、もう無謀だと呆れたくもなるし、その勇気を称えたくもなる。
ま、ぶっちゃけ、僕の場合は後者でしかない。
そう!敢えてこの団体名とタイトルにぶつかっていった意気込みは大好きだ。
だけれど、その壁はやっぱりでかい。
そういう部分での演出的な戦略みたいなものの曖昧さが、作品全体の印象を決定づけてしまっていた。
いや、戦略みたいなものは考えられていた。だけどもっと力技でねじ伏せるような、強度のあるものが必要だったんじゃないか。
その“戦略みたいなもの”ってのは、もちろん、「ありません!」っていう開き直りでも良いわけだけど、その開き直りの開き直り度っていうか、熱量というか、そういうものが高くないといけない。
それくらい、ユニット名と作品タイトルが自立したエネルギーを持ってしまっているんだな。

2人の身体は面白かったし、振り自体もバラエティがあって楽しんで観ていられる。
それはそれで、大変な作業だし、そういう意味での完成度も低くないと思う。
だけど、そこに演出的に引いた視点の存在がはっきりしていなくて、途中から「作品を観る」という行為に飽きがきてしまう。
「身体を観る」という部分では比較的飽きなかったんだけど…。
ダンスって、単純に言葉がないという部分が大きいのかもしれないけど、演劇よりももっと「次にどうなるか?」という期待値を最期まで持続させる必要性がある気がしていて、それってかなり演出的なことで、その部分がこの作品はやっぱり弱かったということなんだと思う。
個人的な欲望で言うと、もっと訳分かんないくらいぶっ飛んでほしかったなー。
そういうポテンシャルがあるはず!

今回の公演が初公演というユニットだから、まだまだこれから活動を続けていく中でそういった演出的な部分も強度を上げていくんだと思うし、それを期待しています。
だって、『48』っていうタイトルは今回だけのものかもしれないけど、《肉体関係》っていうユニット名は続くわけだし…
それにしてもスゴいユニット名だよ(笑)

*肉体関係 関連記事*
稽古場レポート09/08/04


ちなみに、肉体関係の2人、11月に伊丹・アイホールで公演されるサミディレ・杉原の作品、teuto『ソーグー』に出演します。
今回はチェルフィッチュさんの『クーラー』と同時上演のお得な公演のなので、是非ご来場ください♪(ちゃっかり宣伝…笑)

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アイホールダンスコレクションvol.58
「演劇をフィールドとする演出家によえう身体にフォーカスした作品、2本立て公演」

チェルフィッチュ『クーラー』/teuto『ソーグー』

作=吉澤祐太
振付=芦谷康介
振付・演出・美術=杉原邦生
出演=芦谷康介,京極朋彦,黒田政秀,小須田衣里,竹内英明,富松悠,舟木マロン
 


【日時】2009年1119(木)19:30
【日時】2009年11月20日(金)15:00・19:30
【開場】伊丹・アイホール

↓↓公演の詳細はコチラ↓↓
【KUNIO'WEB】http://www.kunio.vis.ne.jp/


サミディレ・杉原邦生

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2009/08/10

【夏サミ2009:観劇レポ2】F's Company『マチクイの詩』

「夏のサミット2009:エネルギッシュ・サミット」の2発目!
F's Company『マチクイの詩』
2009年8月8日(土)19:00の回鑑賞

「F's Companyは長崎を中心に活動する劇団で、今回の『マチクイの詩』という作品は原爆をモチーフにした作品である。」
という前情報を与えられた状態でこの作品を観るということが、どういうことなのかということを僕は考えずにはいられなかった。つまり、僕らには“長崎/広島=原爆”という圧倒的イメージがまずあって、それは“東京=都会”とかそういう都市イメージとそう変わらないほど大きなものだということがある。何が言いたいかというと、その都市イメージに洗脳された状態でしか今回の作品を観ることができなかったし、そう観ないといけない作品だったと思う、ということだ。
僕は7月の半ばに、今回の『マチクイの詩』長崎公演を観に行ったのだけど、最初はなんでこういう描き方になっているんだろう?と納得できない感覚を持った。というのは、つまり、原爆というもののモチーフの扱い方にとても距離を感じたから。「原爆をモチーフにしている」と言いながら、直接的にはそのモチーフが顔を出すことはないし、人が木になってしまう病気という設定もファンタジー的要素が強い。そのことに僕は違和感を抱いた。だけど、その違和感は、初めに書いた「前情報」を強く抱きながらの観劇だったというところからきている。〈原爆=悲惨なできごと〉としてのイメージから、その悲惨さを期待してしまっていた。そして、その悲惨さから感動させられることを期待してしまっていた。だけど、その期待は軽々と裏切られた。そんな期待はそもそも必要なかった。
作・演出の福田さんは1975年生まれなので、もちろん被爆者ではない。だけど、幼い頃からおばあさんから原爆の話を何度も聞いていたそうだ。その福田さんが〈原爆〉というモチーフを作品として描く時に選択したものがファンタジーという虚構であり、その虚構度が〈原爆〉との微妙な距離感を生み出していると僕は思う。さらに、その距離感というのは、福田さんにとっては非常にリアルな距離感なのだ。自身は直接の被爆者ではない、しかし、おばあさんから何度も聞いた原爆の話、幼い頃からの原爆教育、毎年8月9日11時2分に黙祷するという町の習慣は身体に染み付いている。その距離感に嘘をつかずに描かれた作品だったのだと思う。そして、その距離感は一方で非常に軽やかで爽快な観劇体験を生む。だから、良い意味で〈原爆〉をモチーフに描かれた作品を観たという気がしない。だけど、根底に流れているのは、長崎という町に生まれ育ったことに対する誇りと、ある種の使命感だ。でも、その使命感は過去に引きずられているようなものじゃない。きちんとこの先を見据えているからこそ、観劇後に爽快な気持になれる。
ただ、ファンタジー要素の扱い方というのは非常に難しくて、例えば、大きな森の中にお菓子の家があって、動物たちも喋り踊るような世界が初めから設定されていれば、木が突然喋り出してもその事自体に拒否反応を起こすことはない。しかし、今回の場合は、比較的リアリズムな芝居が展開されている一方で木が喋り出す。そのリアリズムとファンタジーの繋ぎ方は脚本としても演出としてもまだまだ考えるべき余地がある。それに付随して、演技の問題もある。普通の人間の演技と喋る木の演技の繋ぎ方も演出的にもっと突っ込んでいったほうが良い気がした。木にどういう演技をさせるのか、またその演技がほかの俳優とどう関わっているのかというところが曖昧というか、そこにもっと説得力が欲しかった。今回の場合、木が喋っている、それにむかって反応している、それ以上のものが観えてこなかった。

〈サミット〉のディレクターをやることの大きな魅力の一つに、関東圏外の劇団と交流できるということがあります。今回も、長崎のF's Companyという劇団と交流できたことはとても貴重だったし、楽しかった。また、いつか観れる日を楽しみにしたいです♪

*F's Company関連記事*
観劇レポート『マチクイの詩』長崎公演 09/07/12


サミディレ・杉原邦生

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2009/08/06

【夏サミ2009:観劇レポ1】ザ・プレイボーイズ『ばべるの塔の僕とガイジン』

「夏のサミット2009:エネルギッシュ・サミット」のトップバッター!
ザ・プレイボーイズ『ばべるの塔の僕とガイジン』
2009年8月5日(水)15:00の回鑑賞

サミットの応募資料のビデオで観た作品は、それこそ真っ青(春)な男たちがめちゃくちゃやってるという印象だけで、それが選定の段階でも最大の魅力だったし、この勢いでアゴラで暴れ回ってくれさえしたらいい、なんて思っていたのだけど、今回の『ばべるの塔の〜』はそんな期待を裏切ってくれた。
こういう立場(ディレクションする側の立場)として裏切られたときの気持ってのは、けっこう微妙で、「あれ?思ってたのと違うんだけど…」という小さな憤りの反面、「ああ、そう裏切ってくれたんだ!」って嬉しく思ったり思わなかったり…。で、今回のザ・プレイボーイズの公演に関して言うと、その気持ってのがなんだか消化しづらくて、中途半端に裏切られた感じがした。と、帰り道で思った。
中途半端に裏切られるってのはなんでしょう?

今回、主宰の堀くんが体調不良のためポストパフォーマンストークに出演できなくなってしまったので、本人と話せなかったことが非常に残念だったのだけど、出演者とのアフタートークで聞くかぎり、今回の作品はこれまで以上に〈ドラマ(ストーリー)〉に重きを置いた作品だったよう。だから、意外にまともだった、というのが第一印象(笑)。だけど、その描かれる〈ドラマ〉ってのが中途半端だったんじゃないか。描かれている〈ドラマ〉そのものも、その〈ドラマ〉の描き方(演出として)も。だから、まず作品に於けるその〈ドラマ〉の立ち位置が危うい。つまり、ここで描かれたドラマが非常にステレオタイプなものであったということがまず一つと、そのステレオタイプなドラマに対する演出的戦略が何もなかったということだ。演劇をつくるということはおおざっぱに言うと「なに」を「どう」描くかということだし、無数の「なに」と「どう」からどれを選択していくのかということが重要なんだと思うのだけど、今回の場合、「なに」の部分に非常にステレオタイプなドラマを充てはめたあとで、「どう」の部分で何をみせていくのかということがもっともっと練られてないといけなかったんじゃないか。
アフタートークでも話したのだけれど、具体的には、例えば舞台になっているマンションの1室で登場人物たちが靴の脱ぎ履きなく行き来するということにどういった演出的戦略があったのか。もしくは、飲み物を買いに行くシーンで、明らかに短い時間で買いに行けてしまうという演出的な省略にどういった意図があったのか。もちろん、そういう細かいことは抜きにして楽しみましょうという部分が演劇の最大の魅力でもあるから、それを否定しているわけでは決してなくて、だけど、それを納得させるのが演出という作業だから、やはりその部分が圧倒的に欠けていたと思う。もしかしたら、あの具体的な舞台美術は要らなかったのかもしれないし、もし具体的な美術を設定するなら、その美術が説得力を失わない演出が施されてなければいけない。そういう部分で演出的な可能性はまだまだあった。

でも、全体を彩る“男子校的”なノリは個人的にとても好きだし、どんどん作品をつくっていってほしいと思った。

あと、アフタートークは爆笑だった(笑)
富田君のお母様、ありがとうございました。

*ザ・プレイボーイズの関連記事*
稽古場レポート09/07/18


サミディレ・杉原邦生

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2009/07/12

【観劇レポ】F's Company『マチクイの詩』長崎公演(ゲネプロ)

Machikui09 昨日、長崎まで観に行ってきました!
F's Company『マチクイの詩』長崎公演のゲネプロ(=舞台上でおこなう最終通し稽古)。
※長崎旅行記はKUNIO'blogをチェックしてください!

観に行けて本当に良かった。
長崎発の演劇を、長崎と東京で2度観るということはかなり面白い体験になると思う。
僕は小学校のときに家族旅行で長崎に一度行ったことがあるんですが、まー、見事に何にも覚えてなかったですね(笑)
15年くらい前のことだから恐らく街の雰囲気も変わっているんだろうけど…
でも、長崎の土地を踏んで観に行ったことはスゴく良かった。
F's Companyの皆さんにも本当に温かく迎えてもらえ、12:00からのゲネプロと、長崎公演の終演後におこなわれるSandyTripスペシャルライブのリハーサルを観させていただきました。
東京公演前なので、内容や感想の詳細はサミットでの上演後に書きますが、“長崎の原爆”という重いテーマを扱いながらも、良い意味でそのイメージを裏切り、ファンタジーを織り交ぜたライトな劇世界になっていました。
スペシャルライブもリハだったけどスゴく良かった♪
東京ではライブがないのが残念。
東京公演ではさらにつくり込まれてくるだろうし、この作品が東京のお客様にどのように受け止められるのか、僕自身も楽しみです。
是非、みなさんアゴラ劇場まで遊びにきてください!

F's Companyの公演は 8月8日(土)〜9日(日)
杉原がポストパフォーマンストークに出演するのは 8日(土)19:00の回 です。
お見逃しのないように!

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F's Company『マチクイの詩』
8月8日(土) 14:00/19:00★
8月9日(日) 14:00
杉原出演のポストパフォーマンストークあり

【F's Company】http://www.fs-company.com/
【夏のサミット2009】http://www.agora-summit.com/2009s/


サミディレ・杉原邦生

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2009/06/09

【冬サミ2008:観劇レポ6】下鴨車窓『書庫』

「冬のサミット2008」6団体目。
下鴨車窓『書庫』
2009年3月2日(月)14:00の回鑑賞

「冬のサミット2008」ラストを飾ってくれたのが、僕の活動拠点となっている京都からの下鴨車窓。
主宰の田辺さんは、僕も何度もお世話になっている京都を代表する小劇場、アトリエ劇研のディレクターをなさっています。

この『書庫』という作品は、2008年11月にアトリエ劇研で初演され、そのときも拝見させていただきサミットBLOGに観劇レポを書いたのだけど、今回3ヶ月半ぶりに観て、基本的な印象は変わらなかった。
〈こだわり〉みたいなものが観えてこなかった。
舞台を観ていて、やっぱり何かにこだわってないとこういう作品は生まれてこないんじゃないかなぁと思って、だからこそ、その“生みのこだわり”みたいなものが観たいと、僕は単純にそう思った。
で、それは、初演の京都から時間を経た今回の東京公演で明確になるかもしれないと、ずごく期待していた。
〈こだわり〉っていうのは、言い方を変えると「これだけはやりたかった!」とか「これだけを見せたかった!」とか、ちょっと極端な言い方だけど、そういうエネルギーのこと。そのエネルギーを舞台から感じれると、ヘタするとそれだけでも満足できることがあったりすると思ってて、でも『書庫』はなんだか全体的な印象がぼんやりとしていて、掴めそうで掴めない感じがずっとしていた。
僕はこれまで演出しかしたことがなくて、作と演出を兼ねるという作業がどういうものなのか皆目見当がつかないし、憶測でしかものを言えないのだけれど、たぶん「作家」としてのこだわりと「演出家」としてのこだわりの両方が必要なんだと思っていて、そのこだわりのぶつかり合いが一人のアーティストの中でどんどん起きることで、作品が面白いものになっていくんだろうなぁと思っているんだけど、『書庫』の場合、僕自身が演出をやっているからかもしれないけど、「演出家」としてのこだわりの方が僕には観えづらくて、そこが一番残念だった。
例えば、「杉原サミット通信」でのインタビューでも話に出ていたのだけど、俳優たちの会話の成り立たせ方そのものが僕は印象的だったのだけど、演出がその会話を「リアリズムじゃない」と設定したとき、その「リアリズムじゃない」の「じゃない」がどこにかかってくるのか、ということが観えてこないし、そこでなぜ「じゃない」と言わなければならなかったのかということが観えてこなかった。こういう話になると、じゃあ「リアリズム」ってなんだ?ってことになってくるので、この辺でやめたいんだけど(笑)、つまり「じゃない」が観えてくるということは、その演出家が考える「リアリズム」が観えてくるということだし、演劇観が観えるということに繋がってくる。それが〈こだわり〉だと思う。

とは言え、下鴨車窓の世界観・質感みたいなものは稀有な存在感をもっているし、今後も京都で注目していきたいと思っています!
次回作が楽しみです。

*下鴨車窓の関連記事*
観劇レポート『書庫』08/12/11
稽古場レポート09/02/04


サミディレ・杉原邦生

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【冬サミ2008:観劇レポ5】劇団うりんこ『アニマル ファーム—動物農場—』

「冬のサミット2008」5団体目。
劇団うりんこ『アニマル ファーム—動物農場—』
2009年2月25日(水)14:00の回鑑賞

僕はそもそも、演劇は〈悪意〉の塊だと思っていて、そういうものとして演劇し続けているのだけど、最近そういう〈悪意〉を〈善意〉だと勘違いしている舞台が多いと思う。
でも今回の『アニマル ファーム』という舞台はその演劇の〈悪意〉に満ちていて、そこがやっぱり、僕にはとても面白かった。
そもそも演劇なんて“ムチャ振り”の連続で、外人ですらない俳優を「ハムレット」であると言ったり、ただの真っ黒な空間を「家」だと言い張ったり、しまいには数十の照明機材を眺めながら「やっぱり外の光は気持ち良い」なんて言い出す。
ふざけるんじゃない(笑)
いま挙げたことだけではないけれど、でも、それこそが《演劇》だと思うし、そういうことをきっちりと自覚してつくられている舞台を僕は面白いと思う。

で、『アニマル ファーム』ではなにが面白かったのかと言うと、そもそも戯曲が悪意に満ちている。
あらすじは…
人間の農場主が動物たちの利益を搾取していることに気づいた「荘園牧場」の動物たちが、偶発的に起こった革命で 人間を追い出し、豚(ナポレオン)の指導の下で「動物農場」をつくりあげる。動物だけの仲間社会で安定を得た彼らであったが、やがて不和や争いが生まれ、結果的に人間が支配していた時以上に抑圧的で過酷な農場となっていく—。
つまり、これは説明するまでもなく、動物たちの姿に人間様の姿を見るという寓話劇であって、そこには20世紀前半に台頭した全体主義やスターリン政権への批判も色濃く現れている。
いくら寓話劇として描かれていたとしても、ちょっとこのあらすじを聞いただけでも、説教臭さに嫌気がする(笑)
でも今回の上演では、その嫌気がきちんと演出されていたし、アゴラ劇場のあの空間でこの芝居を観せるという体験そのものが僕にとっては〈悪意〉に感じられた。
なによりも僕が面白いと思ったのは、俳優だ。
ディレクターに就任させていただいてから、僕もアゴラで芝居を観る機会が増えて、全てがそうとは言わないけれど、(大雑把な言い方ですが)やはり「現代口語演劇」的なもの、小劇場的なものを見慣れてしまっている。
そういう前提があった上で、だからかもしれないが、あの俳優たちの演技は強烈だった。
どこに向かって演技してるんだ!?
ここは大劇場じゃないゾ。
そんなに声を張り上げなくたって、良い発声しなくたって、十分聞こえる。
でも、それが素晴らしかった。
あの濃密な小劇場空間で提示されたあの俳優たちの演技は、何かを無視していた。
舞台:観客という安定した関係性を揺るがすものがあった。
それは、とても〈悪意〉だった。
『アニマル ファーム』という作品の性格を非常に良く現していた。
アゴラのあの空間だからこそ体験できた感覚。
だから強烈だった。
エネルギーに満ちていた。

音楽劇になっているのも良かった。
劇中に歌をうたうなんてそれこそムチャ振りだし、演劇的な〈悪意〉だ。
あと、舞台美術が壁も床面も黒板のようになっていて、そこに俳優がチョークで画や文字を描いたり消したりしていく演出がなされていたり、トラックがこどもの遊具の乗り物になっていたり、俳優が生演奏で効果音を出していたり、演劇的な遊びもきちんと成されていた。
戯曲・俳優・歌・美術・道具など全てが〈悪意〉を持っていたし、そう演出されていて、その完成度も高かった。
ちゃんと、「《演劇》を観た」という感覚にしてくれる作品だった。

ただ、僕個人的には、オープニングとエンディングの携帯電話を使った演出が、ちょっと狙いが観えすぎてしまう感じがして好きになれなかった…。

*劇団うりんこ関連記事*
観劇レポート『夏の夜の夢のサマースクール』08/12/26
稽古場レポート09/01/29


サミディレ・杉原邦生

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2009/06/04

【冬サミ2008:観劇レポ4】ゴジゲン『たぶん犯人は父』

「冬のサミット2008」4団体目。
ゴジゲン『たぶん犯人は父』
2009年2月21日(土)19:00の回鑑賞

若くて元気でよろしい。
って言いましても、そんなに年が離れているわけでもないですが(笑)、なんか、若くて元気でよろしい感じだった。
以上。
だって、いまゴジゲンをあーだこーだと批評したところで、なんか、無意味と言うか、とりあえず今は、ゴジゲンが「面白い!」って思うことをどんどんやっていけば良い時期なんだと思うし、そうしてもらいたいし、それでいいと思う。

…でも、これだけだとちょっとあれなんで、書きます。
僕は、中途半端な印象を受けた。
やりたいことをやりきれていないし、狙ったことが狙った通りになってないし、ツメも甘い。
…でも、やっぱり、これも言ったってしょーがない。
だって、これからの団体だってことはもう分かっているし、できてないことはできてないと本人たちも分かっていると思うし、やっぱり、書くだけ無駄な気がしてきてしまう。
でも、これは、僕自身がゴジゲンにあるレベルのポテンシャルを感じているからで、期待しているということなんです、ホントに。
刺激はない。斬新さもない。驚きもない。
でも、別に良いと思う。
こういう王道シチュエーション・コメディ、良いじゃないか。
楽しいじゃないか、お客さんも。
技術的なことは、続けていけば巧くなる。
だから、続けていってほしいと思った。

フレッ フレッ ゴジゲンッ!

*ゴジゲン関連記事*
観劇レポート『サムライキッチン』'08/09/10
稽古場レポート'09/02/08
稽古場レポート'09/02/12


サミディレ・杉原邦生

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2009/06/03

【冬サミ2008:観劇レポ3】旧劇団スカイフィッシュ『適切な距離』

「冬のサミット2008」3団体目。
旧劇団スカイフィッシュ『適切な距離』
2009年2月13日(金)19:30の回鑑賞

アフタートークでも話したのですが、ざっくりと感想を言うと「残念だった」「拷問だった」「疑問が残った」という3つの感想になる。
すべて否定的なニュアンスなのだけれど、それはやはり僕の中にあった密かなる“期待”がそういう感想を抱かせたんだと思っている。

まず「残念だった」というのは、このブログでも以前に書いたのですが、簡単に言うと僕が昨年の7月に観た『適切な距離』ワークインプログレス1で面白いと感じた部分が、今回の本公演でもあまり発展せず、むしろ、なにか収まらなければならないものに収めてしまったような印象を受けたから、それがとても残念だった。
ワークインプログレス1は普通のカフェでおこなわれた公演で、営業時と変わらないカフェの椅子やソファに座っている観客のテーブルを俳優が順番に回っていき、エピソードを話しかけていくという上演形態だった。エピソードを話し終わると必ず質問を受け付ける時間があり、そこで俳優と観客との具体的な関係性生まれる。そして、全員のエプソードを聞き終わると、そのエピソードが同窓会というひとつのシーンに繋がり、その同窓会会場として、観客と俳優がいるその場(公演会場であるカフェ)が立ち現れてくる。
この、いわゆる観客と舞台、または観客と俳優という関係性ではない距離感覚というか、そういうものが面白いと思ったし、まだまだ面白くなりそうな予感がしたのだけれど、11月のワークインプログレス2では、会場が《劇場》という空間に変わったことで、つくり手側も観客側もなにか劇的なものとして作品を組み立ててしまい、観客:舞台という構造から抜け出せていなくて、むしろ劇場という空間の強靭さだけが観えてきてしまい、とても退屈だった。
で、今回、この2回のワークインプログレスを経て、作品がどのよう立ち現れてくるのかということに非常に興味があったし、楽しみにしていた。勝手な想像だけど、もう、舞台上に俳優すらでてこなくて、実は観客の中に俳優がずっといてそのままわかんない状態で芝居が始まって終わっちゃっても良いんじゃないか、そこまでいっちゃて良いんじゃないか、いや、むしろいってくれ!と思っていた。けれど、今回の本公演も基本的には11月のワークインプログレス2を踏まえたものになっていて、それはとても残念だった。

「拷問だった」というのは、もちろん観る人によって感じ方は違うと思うし、それが良い悪いという意味ではなくて、僕には拷問のような作品だったということです。
観ている間ずっと、常に俳優の言っていることを聞いていなくちゃいけない、意識を逸らしちゃいけないというような感覚があって、それは僕にとってはキツい体験で、もちろん、舞台を観る側は受け手ということになっているから、ま、基本的にはそうなんだけど、観る側の意識を強いるような演出にするときに、やはりそこに必然性がないと、それはもうただの拷問になってしまうと思う。今回の演出にはその必然性を感じ取れなかった。だから悪い意味で拷問だった。

最後の「疑問が残った」というのは、作品として最終的にどういう点に集約させるのかということが分からなかったということです。
観ているあいだ、あ!舞台を造る行為というのは要するにこういうことか!と思える瞬間があった。俳優が不特定多数の人の前に晒されて、言葉をしゃべったり、アクションをしたりする行為がすごくペラペラに観えた。おそらくそいうことも演出的には敢えてやっているのだろうし、俳優の立ち方がスベるの覚悟でネタを披露する売れないピン芸人のような、ある意味生け贄的存在に観えたのも面白かった。もしかしたら舞台って基本的にはこうことかなっていうふうに思って、それはそれでとても興味深かった。けれど、演出的にそういうことをやったとき、作品として、どういうところに着地したのかということが分からなかった。
つまり、作品(小説)の内容と演出が乖離している印象を受けた。
演出がアイデアしかないというか、作品に対して必然性を持っていないということが明らかで、それでは観客の頭には「?」しか残らない。

でも、こういう試みを続けていけば、面白くなっていきそうな余地はまだまだあると単純に思った。
いつか、舞台と観客という距離感に新たな刺激を与えてくれるんじゃないか、そういうことをもっともっと突き詰めていってほしい、と思った。

*旧劇団スカイフィッシュ関連記事*
観劇レポート『適切な距離-ワークインプログレス2』08/12/11
稽古場レポート09/02/06
稽古場レポート09/02/09


サミディレ・杉原邦生

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2009/02/16

【冬サミ2008:観劇レポ2】PORT+PORTAIL『年をとった鰐の話』

「冬のサミット2008」2団体目。
PORT+PORTAIL『年をとった鰐の話』
2009年2月10日(火)14:00の回鑑賞

「美しい」って言葉を使っちゃうのはなんかだか安直な気がするんだけど、ゾッとするくらい美しいシーンがいくつもあった。
作品世界に引き込まれる瞬間も何度もあった。
なのに、作品全体として観たときの満足感は高くない。
このことはポストパフォーマンストークでも喋ったのだけれど、圧倒的に構成力の甘さが出てしまっていて、それが全体の流れを退屈で冗長なものにしてしまっていると感じた。
例えば時間の流れ方ひとつ取っても、物語の中心になる鰐はピラミッドが建つのを見たほど年をとったという設定なのだから、その鰐とその他の要素(他の登場人物?とか鰐を取り巻く環境とか)の時間の流れ方が違っていて良いし、むしろそれが観えた方が面白かったんじゃないだろうか。
全体的に一定の時間軸の中だけで作られてしまっている印象があって、メリハリがなかった。
一方で僕は、舞台上での鰐の現れ方が変容していくのがとても面白かった。
“影の鰐(何通りかある)”→“人間が鰐のかぶり物を被る”→“人間の身体のみで鰐を表現”→“剥製のような鰐の人形”。
だけど、それも構成の中で計算されている感じがまったくしなくて、本当はいちいち「ハッ」としたかったんだけど、しばらくしてから「あ、表現方法が変わってる…」と気付くみたいな観え方になってしまっているから、せっかくの演出が、なんだか、まったくもって作品中に立ち上がって来ない。
〈影〉に関しては、僕は非常に面白くて、ゾッとするくらい美しいと思った瞬間はやはり〈影〉のシーンだった。
僕は影絵というのはとてもスリリングなものだと思っていて、それはスクリーン(または幕)一枚を隔てた舞台と客席の関係性のことで、どちらにとっても相手のことが直接には見えていない中で探り合いながら作品を成立させるという関係性をそう感じているのだけれど、なぜだか、今回の作品ではそういうスリルを味わえなかった。
それは可動式のパネル状スクリーンだったということも、単純に影だけで観せるわけではないということもちろん要因としてあるんだろうけど、やっぱりそのスクリーンを演出的に構成の中で活かし切れていないということと、パフォーマーがスクリーンの前に出てくるときの現れ方とか観せ方みたいなものに演出的意識が足りなかったんじゃないだろうか。

と、なんだかエラそうにまとまりなく個人的な感想を書きましたが、面白いと思った瞬間は本当にいくつもあった。
ちょっと羨ましいくらいキレイだった。
僕はポストパフォーマンストークで「再演した方が良いんじゃないか」みたいなことを言ったんだけど、これは本当に率直な意見で、この構成の甘さは稽古をさらに重ねることで、再演という作品を再考する機会をつくることで、解消される部分も多分にあるんじゃないかと思ったから。
今回の『年をとった鰐の話』という作品じゃなくても良いから、〈影〉をつかった作品づくりは続けていってほしいと思った。

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稽古場レポート09/01/30
稽古場レポート09/02/02


サミディレ・杉原邦生

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2009/02/05

【冬サミ2008:観劇レポ1】キリコラージュ『それでつくります。』

「冬のサミット2008」の、そして杉原サミットの記念すべき一発目!
キリコラージュ『それでつくります。』
2009年2月5日(木)19:30の回鑑賞

予想外に良かった。

アフタートークでだいたい感想は喋ったんで、ここでもう一回改めて書くのもなんかなーって感じですが、僕は結構面白かった。
ディレクターとしてこういうことを言ってしまうのは問題があるのかもしれないけど、正直観るまでは面白くなるのかちょっと心配だった。
そもそも、作品をつくる前にまだ存在していない作品に対するレビューを書いてもらって、それを基に作品をつくるなんて過程が、面白い作品をつくり出せるはずがないと疑っていた。
でも、その辺りを、なんとも軽快に飛び越えたところがまず良かった。
もし、出来上がった作品そのものがあの3つのレビュー(永井愛さん!犬童一心さん!じゅんじゅんさん!の大物3名による)を具体化したものでしかなかったとしたら、何ともつまらない公演だったと思う。
が、そのレビューの言葉を弄ぶかのように、〈無関係である〉という関係性を作り上げちゃったことが良かったんだと思う。
そこが潔かった。
特別な新しさとか奇抜さみたいなものは全くと言って良いほどないんだけれど、そういう意味で潔さがあった。
それが僕個人としてはとても爽快だった。
その潔さが作品中にも溢れていた。
コンテンポラリーダンス作品に、ある〈意味〉とか〈社会性〉みたいなものをとかく観客(と言うより批評家とか頭のおカタい舞台人とか…)は求めがちだけれど、それってどうなんだ?って僕は思い続けていて、だって、ストリートダンスなんてカッコ良いってだけでみんな楽しんで観ている訳だし、コンテンポラリーダンスだってそういう「観ていて楽しい!」だけで存在しているものがあっても良いんじゃないか。
僕は少なくともそう思う。
木ノ下歌舞伎舞踊公演『三番叟』だって根底はそういうことだった。
だから、僕は今回のキリコラージュを面白いと思ったんだと思う。

もちろん、構成の甘さ(特に後半)、身体性の強度の無さ(技術的なことだけではなく)など、まだまだ課題は多いんだけど、これから先がちょっと楽しみなカンパニーに出会えたことは収穫だった。

今日は終演後にポストパフォーマンストーク出演。
好き勝手喋りすぎたでしょうか…「毛沢東」って連呼してただけだった気がする(笑)
にしても、「文化大革命」には気付けなかった…ちくしょー!

*キリコラージュ関連記事*
稽古場レポート08/12/28
稽古場レポート09/01/28


サミディレ・杉原邦生

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2008/12/26

【観劇レポ】劇団うりんこ『夏の夜の夢のサマースクール』

83t837d815b83x83n815b838b955c子供向けのクリスマス公演ということもあり、開演が10:30!(…笑)
14:00の回もあったんですが、スケジュールの関係で10:30の回を観劇。
しかも、観劇当日は12月24日のクリスマス・イヴ☆
「冬のサミット2008」参加団体の劇団うりんこ『夏の夜の夢のサマースクール』公演。

こども半分、おとな半分の客席は、独特のアットホームな雰囲気。
会場のうりんこ劇場は大きすぎず小さすぎず、居心地も良いものスゴく良い劇場。
さて、作品の方は、 簡単な楽器を使った音楽劇になっていて歌ありのお芝居。
イングリッシュスクールのサマーキャンプで南の島にやってきた兄妹の話。
兄は「家に帰らない!この森で原始人になって暮らす!」と言い出す。
なぜなら、このキャンプが終われば妹は母親とイギリスへ、兄は父親と日本に残り、家族がバラバラになってしまうからだ。
その時、「夏の夜の夢」の妖精パックがやってきて父親と母親に“惚れ薬”を振りかける。
すると途端に二人はお互いにベタ惚れ、一件落着と思いきや、兄妹はこれで本当に良いのかと考え始める…。

シェイクスピアの「夏の夜の夢」を下敷きにし、色鮮やかな舞台美術で観客を楽しませてくれる。
…のだけれど、本当にこれで良いのだろうか?と考えてしまう。
観ているこども達は本当に楽しんでいるんだろうか、と。
実際、舞台と客席のこども達との温度差があったように思う。(僕が観た回だけかもしれないです…一番お客さんが少ない回だったそうなので)
やっぱり、こども向けの芝居は難しいと改めて感じた。
もしかしたらこれは僕の思い込みかもしれないけれど、こどもって(オレもそうだったけど)悪役とか不良とかそういうものにどこか憧れてるんだと思う。
この前テレビで「なぜ不良はモテるのか?」という特集をやっていたことも思い出した。
特にいまの子達は僕らのときよりもさらに過激なものに触れてきている世代だ。
そういうことを踏まえて今回の作品を考えてみると、その部分で物足りない、と感じた。
ボクが過去にやったこども向けの公演では、そこら辺を主宰の子がしっかりと分かっていて、毎公演必ず不良キャラの男子3人組が登場し(この中に僕も入っていたんですが…笑)、いつもこども達とお母さん達両方から一番の人気だった。(はず!笑)
ちょっと悪いカッコいい風のおにーちゃんが観たい。
じゃないか?
もちろん、素朴で心温まる物語で安心して楽しめたんだけれど、その辺りが物足りなかった。
〈安心〉ってのは絶対に〈刺激〉にはならない。
もうちょっと良い意味でハメを外しても良かったんじゃないだろうか?
と、エラそうに書きましたが、これは本当に僕の個人的な一意見です。
反対意見もいっぱいあると思います。

「冬のサミット2008」参加作品の『アニマル・ファーム-動物農場』は打って変わって、こども向けではない作品。
活動の幅を自ら狭めず、本当にいろんな公演をしているのがこの劇団の特長。
『アニマル・ファーム-動物農場』ではどんなうりんこを見せてくれるのか、読めない分、一番楽しみでもあります。

杉原邦生


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2008/12/11

【稽古場レポ】下鴨車窓と旧劇団スカイフィッシュ

サミディレ・杉原です。
なんだかんだと前回の更新からだいぶ時間が経ってしまいました。
すみません。
このBLOG、早くも話題になっているようですが、ホント更新少なくって申し訳ないです。

前回の更新からいろいろとありました。
次回作の稽古が始まったり、オーディションで東京に行ったり、いろいろ…。
そのへんの詳細はKUNIO'WEB(http://www.kunio.vis.ne.jp/)内のブログなんかをチェックして頂ければと。
で、この期間、「冬のサミット2008」参加の関西2劇団を観ました。
下鴨車窓#5『書庫』(@アトリエ劇研)と旧劇団スカイフィッシュ『適切な距離-ワークインプログレス2』(@ウイングフィールド)の2作品。
感想や印象なんかを書きたいと思いますが、どちらの劇団も「サミット」で上演予定の作品と同じものだったので、ネタバレしない程度に書きます。

結論から言うと、僕にとってはどちらの作品も物足りなさが残りました。

まず、11月9日(日)・11日(火)と2回観させて頂いた下鴨車窓#5『書庫』は、前作の『農夫』よりも個人的には好印象だったのですが、いまいち作・演出を担当している田辺さんの〈こだわり〉が見えてこないと言うか、もっとこだわって欲しいと思ってしまう瞬間が少なくなくて、そこは非常に残念だった。
田辺さんにも直接お話ししましたが、僕は音のことがいちばん気になって、例えば音ひとつ取っても、もっとこだわれるんじゃないかと単純に思ったし、〈こだわり〉って演出の基本動作みたいなものだと僕は思っているから、それが見えてこないとちょっとどうにも物足りない。
〈演劇〉なんだから、もっと徹底的に虚構をつくり上げて欲しい。
そういうことができるポテンシャルみたいなものを、それは環境的なものも含めて、下鴨車窓というカンパニーは十分に持っているんじゃないかと僕は思っていて、それが今回の「サミット」で発揮されることを期待したいと思います。

次は、11月27日(木)に観させて頂いた旧劇団スカイフィッシュ『適切な距離-ワークインプログレス2』。
7月に京都のcafe&gallery etwで上演されたワークインプログレス1を観させて頂いたのですが、その時に僕が面白くなりそうだと感じたことが、うまいこと発展していなかったという印象でした。
ワークインプログレス1ではカフェという空間をうまく使っていて、俳優:観客の関係性/作品:空間の関係性の取り方が興味深く、まだ荒削りながらもこれから面白くなりそうだと感じたのですが、この微妙な距離感を伴った関係性が〈劇場〉という〈劇〉のための空間を前提としたとき(しなければいけなくなったとき)、果たしてどこまでその強度を持つことができるのか、というか、それは面白くなるのかってことが不安要素としてあったのが正直なところです。
今回のワークインプログレス2を観て、やはりその関係性の取り方が〈劇場〉という空間に後押しされるかのように、悪い意味で〈劇的〉なものになってしまっていて、それはとても退屈だった。
とても不器用だった。
もう少し関係性の構築に焦点を合わせて、〈劇場空間〉を逆手に取った新たな距離感を見つけてくれることに期待したいと思います。
それが小嶋さんならできるんじゃないかと勝手に思っているんです(笑)

なにやら、エラソーに書いてしまいましたが、これはあくまで杉原の個人的な見解なので、あまり参考にしないでください(笑)
とにかく、お客様には公演を観に来て欲しいです。
いま、関西の若いカンパニー/アーティストがどんなことを考えどんな作品をつくっているのか、また関西の演劇状況がどんな感じなのか少しだけ垣間見れると思います。
そして、それに対するお客様の反応を知りたいです。
「杉原サミット」では、全カンパニーの公演にサミディレ・杉原出演のポストパフォーマンストーク(アフタートーク)が予定されています。
そこで僕が感じている“関西”についても話せたら良いなと思っています。


杉原邦生

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2008/09/10

【稽古場レポ】ゴジゲン『サムライキッチン』

Diedokoro

9月7日(日)、「冬のサミット2008」参加カンパニーのゴジゲンが参加するGREEN55プロデュース公演『台所』をシアターグリーンBASE THEATERで観てきました。
シアターグリーン学生芸術祭vol.2の企画のひとつで、ゴジゲンと他2団体が“台所”をキーワードにそれぞれ30分程度の作品をオムニバス形式で上演するというもの。
学生らしい若いパワーに爽快さを感じた反面、作品の完成度の低さに物足りなさを感じたというのが本音。
ただ、その中でも一番好感を持てたのはゴジゲンが上演した『サムライキッチン』で、それはなにか〈謙虚さ〉を感じたからだと思う。
〈謙虚さ〉というのは、ごく単純に「舞台芸術をエンターテイメントとして楽しませよう/楽しんでください」という意思のことで、ゴジゲンからはその意思を感じられた。
やっぱりその意思が感じられない舞台は、まず楽しめない。

で、内容なんですが、ボクはすぐに観た芝居の内容を忘れるタイプなので、まず、あまり参考にしないでいただきたいです(笑)
内容が違っていたらごめんなさい!

ゴジゲンの「サムライキッチン」はいわゆるバックステージもののシチュエーションコメディで、時代劇が上演されている舞台の舞台袖が舞台。
小道具の刀と本物のナイフを取り違えて、舞台上で実際に切腹をする羽目になった俳優がでたり、舞台袖のあり得ない状況にてんやわんやする俳優たちが笑いを誘う。
開演後数分で、まずは作品に仕掛けられた構造が理解できるのだけど、そこからなにも発展していかないのが残念だった。
もったいないなぁ。
アイデアで終わってしまっている感が否めない…。
30分だってもう少し多層的に面白くできるんじゃないか。
あと、舞台袖で起こるあり得ない状況に対して、舞台上で演じられている時代劇自体も不条理で、双方の間にギャップがないことが、お互いにお互いの面白さを消してしまっていると思う。
いや、もしかしたらやりたかったことはそういうことだったのかもしれない。
どうしようもないものがつくりたかったのかもしれない。
だとしても、〈どうしようもないもの〉を作品として成立させて観客に納得させるためには、まだまだ足りないものがたくさんある。
〈どうしようもないもの〉をつくるのはむずかしい。

杉原邦生

 

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